今回は当時の日本の音楽教育事情について、ちょっと調べてみます。
この物語は瀧廉太郎に尋常小学唱歌の作曲を依頼する、ということがきっかけで始まります。つまり、この依頼が無かったら岡野や野口はドイツに行かないわけですので、このドラマが始まりません。
当時の音楽事情を調べてみますと、日本の音楽はこれまで【雅楽、能楽】と謡という大きく2つに分かれていたようです。
雅楽は貴族の音楽。つまりお公家さんの音楽。
能楽は武士の音楽。そして庶民の音楽は民謡、三味線などといった類のものですね。
そこに文明開化の波が来まして、【西洋音楽】を取り入れることになりました。ここで日本の音楽史に【5線譜】が出てきます。もちろん西洋音楽導入当初は日本歌曲はありませんから、西洋音楽を日本の詞に直したものが歌われます。「蛍の光」とかがそうですね。
日本の唱歌として画期的だったのは、本作でも歌われる、瀧廉太郎作曲の「花」でした。
歌曲集「四季」の中の1曲として発表されたこの曲は、初めて日本語の歌詞をドレミ音階に乗せて作った曲でした。 この曲を瀧廉太郎は21歳という若さで作曲してしまうのです。
歌詞中の「みずやあけぼの 露浴びて」の「みずや」は「水や」ではなく、「見ずや」。
現代語訳すると“見てごらん”という意味です。
また「くるれば登る 朧月」の「くるれば」は「暮れるれば」。当時の隅田川の春の様子が本当に美しい詞で描かれています。この曲が名曲たる所以は瀧廉太郎の素晴らしいメロディーと武島羽衣の素晴らしい歌詞が見事なハーモニーとなっているからでしょうね。
このお二人のハーモニーにもご注目くださいませ!
ということで、稽古場写真は岡野貞一役の大久保祥太郎さんと幸田幸役の音くり寿さんの歌唱シーンから。
そして! 劇中、素敵なピアノを弾いてくれる"こっちゃん"こと西寿菜さんのお誕生日があり、稽古場でお祝いした時の様子はこちら。西さん自らハッピーバースデーを弾くスタイルでお送りしました(笑)
音楽劇『瀧廉太郎とその友人、と知人とその他の諸々』
2024年5月2日(木)〜4日(土)
下北沢・北沢タウンホール